All In(楽曲と日本語詞についての雑記)
はじめに
今回は、先日DJ Q、Gaidaa、tofubeatsらによってリリースされた「All In」を導入に、日本語詞の捉え方についての考察をしていきたい。
All Inから考える日本語詞のオモロさ
UK Garage meets Japanese Rap and Dutch Soul in New Online Collab | Red Bull Check Your DMs EP 1
外で聴かれるのを前提に、敢えて日本語詞をぶち込むセンスがすごい
— Namewave鮭とば (@NAMEWAVE_sktb) 2020年5月27日
日本のリスナーは英語詞も日本語詞も、両方聴き慣れた心地良さを感じてるけど、
向こうの方の日本語詞の捉え方は全く別のものなので、
正に今も僕らとは別の心地良さを感じてるんだよな…
All In by DJ Qhttps://t.co/fR5XPYgwOb
(性懲りもなくSpotifyのリンクで申し訳ない。上記の動画でも曲の一部は視聴できますので…)
ツイートにも記してある通り、海外のリスナー向けのビートの上に敢えて日本語詞を載せることが面白いんですよね。
セカ○ワが海外リリースしようとした際に、不慣れな英語で歌詞を翻訳してリリースした、という例もあるため、
これは日本語という母国語に誇りがあるからできることだと感じた。(誤解しないように注釈しておくと、この表現に政治的な意図は全くないし、筆者はセカ○ワも好きだ)
私のツイートの補足をすると、まず日本人の日本語詞の捉え方と、日本語を理解していない人の日本語詞の捉え方は絶対に違うはずなんですよ。
自分は学がないので、英語詞を曲のBPM通りに即翻訳して理解することは出来ない。翻訳しようとすれば必ずタイムラグが起きて、気づいたら次の展開になっているか、もしくは噛み砕くことを諦めて語感や韻などの耳障りのみを楽しんでいる。
「んなら歌詞をGoogle翻訳にぶち込んで理解してから曲聴けばええやん」と思うかもしれないが、その曲とのファーストコンタクトを文章理解だけで終わらすのはもったいない気がしませんか。
筆者は音楽と文脈を同時に味わいたいです。それを叶えるツールが、いわゆる母国語だったりする。
話が逸れた。
恐らく向こうの人も、意味を捉えずに語感や韻を楽しむ感覚でこの曲を聴いて楽しんでいるのではないかなあと思って今回の題材とした。
なお、この音楽と使用言語問題は、もし私がバイリンガルだったらもっと多角的に音楽を楽しめるのにな〜〜、と最近感じる所以である。
Vaporwaveは日本語詞を認識できますか?(曖昧な)
Vaporwaveやfuture funkでは頻繁に日本語詞の逆輸入が体感できる。
ちょうどサブタイトルや上記CDジャケットのような、日本語として意味を理解できるんだか…できないんだか…の瀬戸際とモヤモヤ感。あの正体がこれです。
つまり、この「BABYBABYの夢」のイントロのカットアップに顕著に表れているような、日本語圏外の人が音として切り取った日本語を聴くことが出来るのである。
メロディーは当然だが、原曲にあった文脈も解体・再構成されるので、普段聴き慣れている日本語詞のはずなのに文章が理解できない現象が起きる。そのため、下手したら国境のこっち側・向こう側で感じるaestheticも全く異なる可能性がある。これは面白い。
また、日本人が同じことをやろうとすると、どうしても文脈を繋げてしまうフシがある。
そのため、普通の作曲においてストーリーを組み立てるという当然の話が、むしろこれらのジャンルに至っては違和感となってしまうのが難しいところだと感じている。(逆に言えば、僕らの方が、言葉もわからないような国の80's funk的なものをdigれば、謎文脈Vaporwaveを作れる可能性がある)
邦ロックと日本語詞の相対的な理論
アーティストが意味をなさない日本語詞を扱うのは、何もクラブミュージックや外タレに限ったことではない。
筆者は軽音サークル出身なので、いわゆる「ロキノン系」の楽曲を挙げさせていただきたくが、上にあげた相対性理論やWHITE ASHなどは正にそのパイオニアとも呼べるバンドである。
相対性理論の作る楽曲の最大の特徴として、フレーズとしての日本語は形を保つ一方、曲全体を通して歌詞を捉えようとすれば、途端にストーリーが崩壊する危うさがあるという点がある。
またWHITE ASHは、日本語/英語の耳障りの良い語感のみを抽出して歌詞としているため、文章としての形すらなしていない。
両者とも、意味を考察することすらナンセンスになるような歌詞を載せることで、メロディーや演奏などといった部分に注目を集めている好例である。
私個人の意見になるが、音楽においては、必要が無ければ歌詞の意味を繋げる必要は全くないよな、と常に考えている。
ビートメイクをする際、普通は減衰していく音を、ぶつ切りにして並べるのが面白いように、もしくは米津玄師の1stで使われる不協和音が面白いように、
むしろ、音楽にはある程度不自然さが必要だと考えている。
さいごに
もちろん言うまでもないですが、アーティスト自身に何か明確に伝えたいものがあるような場合は、歌詞がリスナーを惹きつける1番のフックになるので、重要視するべきだと思います。
筆者もそういう気持ちで勝負するアーティストが大好きなので…フジファブリックとか…
私、まがいなりにも軽音サークルではボーカルやってまして、いろいろなアーティストの曲をコピーしてるんですよ。
6年目にも関わらず歌クソ下手なんですけど、ボーカルが死ぬ気で捻り出した歌詞の重要性だけは理解してるつもりです。
だからこそ思ったことなんですね、今回の内容は。
まあなんと言いますか、今後自分が日本語詞を切り貼りしていく際は、逆再生やボコーダーなどのエフェクトを多用して、意識的に文脈を解体し、曖昧なものにする必要があるな…という雑記なのでした。